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1953年2月1日、NHKが日本初のテレビ放送を開始しました。紅白歌合戦と大相撲中継は、当時から現在まで60年以上続いている番組です。その後、日本テレビ、TBS、テレビ朝日など民放各局が次々とテレビ事業に参入し、日本のテレビ業界は大きく広がりました。テレビの初放送からおよそ15年で、世帯普及率は90%を超えたのです。
以下は、日本におけるテレビの値段(松下電器の主力商品の標準価格)の長期推移です。
テレビの値段の長期推移 | ||
時期 | 値段 | 備考 |
1955年 | 89500円 | ※白黒テレビ |
1960 | 50万円 | 白黒テレビは58000円 テレビのカラー放送が始まる |
1965 | 19万8000円 | 白黒テレビは73800円 世帯普及率が90%を超える |
1970 | 16万5000円 | |
1975 | 13万2000円 | カラーテレビの普及率が90%以上に |
1980 | 19万9000円 | |
1985 | 21万9000円 | |
1990 | 21万1000円 | |
1995 | 22万円 | |
2001 | 27万円 |
参考資料:物価の文化史事典(展望社)
日本で初めて国産のテレビを発売したのは、1953年のシャープです。その後は松下電気(現パナソニック)や東芝など様々な家電メーカーが参入し、テレビ開発は急速に進みました。1955年当時のテレビの値段は89500円で、これは現在の価値に換算すると約54万円という高価な商品でした(⇒消費者物価指数の長期推移【過去100年】)。
1950年代の日本では、冷蔵庫、洗濯機、そしてテレビが家電の「三種の神器」と呼ばれ、これらを所有する事は裕福さの象徴でした。
初期のテレビには真空管という装置が用いられており、電気で温まるまで機能しない仕組みでした。そのため、テレビのスイッチを入れてから画面が写るまでに、3分程度の時間が掛かるという致命的デメリットがありました。また真空管は、消耗が激しいうえに不安定な機器だったために、テレビを付ける度に画面の色合いが変わる、画面が表示されるまでに10分以上掛かるようになる、といった不具合も頻出していました。
その後、テレビは真空管に代わってブラウン管が搭載されるようになった事で、上記のような問題点は解消されました。ちなみに、ブラウン管の名称は、発明者の「フェルディナント・ブラウン」が語源です(ブラウン管自体の発明はテレビよりも前)。
日本でテレビが普及するきっかけとなった出来事の一つが、1959年の皇太子殿下のご成婚です。このパレードはNHKと民放各局で生中継されるとの口コミが広がり、テレビを購入する家庭が増加したのです。
そしてテレビの普及を決定付けたのが、1964年の東京オリンピックです。東洋の魔女と呼ばれた女子バレーボールをはじめ、柔道や水泳などで日本選手は大活躍し、多くのメダルを獲得しました。この東京オリンピックを見るために、多くの家庭がテレビを購入した事で、翌年の1965年には世帯普及率が90%を超えたのです。
1956年には、NHKがカラーテレビの試験放送を行い、1960年からは本放送も始まりました。カラーテレビが発売されたのは、アメリカ、キューバに続き、日本が世界で3番目です。しかし、1960年当時のカラーテレビは約50万円と、白黒テレビ(5万8千円)の10倍近い値段でした。これは現在の価値でおよそ280万円に相当し、庶民が気軽に購入できる値段ではなかったですが、時代が進むにつれてカラーテレビの値段も下がっていきました。
テレビのカラー化は、番組作りにも影響を与えています。1966年には、特撮ヒーロー番組の金字塔である「ウルトラマン」の放送が始まりました。ウルトラマンは限界時間が近づくと胸のカラータイマーが点滅しますが、これは当時の主流〜白黒テレビでも変化をわかりやすくするための描写でした。
一方で、1975年には戦隊ヒーローの元祖「秘密戦隊ゴレンジャー」が放送されましたが、この頃にはカラーテレビの世帯普及率が90%を超えていたため、色でメンバーを区別するという現在でもお馴染みの手法が用いられたのです。
1977年には白黒放送が終了し、テレビ番組は全てカラー放送となりました。当時、カラーテレビの世帯普及率は95%以上になっており、また白黒テレビでもカラーの番組をモノクロで視聴する事は可能だったため、大きな混乱は起こりませんでした。
そしてテレビは、ブラウン管から液晶へ移り変わります。1995年にシャープが発売した液晶テレビ「ウィンドウ」が、日本で初めて市販された液晶テレビです(携帯用の小型液晶テレビは1982年にエプソンから発売済み)。奥行きが必要だったブラウン管と違い、液晶テレビは薄いので、狭いスペースにも設置できるというメリットがあります。2000年代に入ると液晶テレビの普及が進み、2006年頃には出荷台数でブラウン管を追い抜きました。
2003年には、地上デジタル放送(地デジ)が開始されました。そして2011年7月に従来のアナログ放送は終了し、地デジに完全移行となりました。この行政主導の強制特需により、販売台数は前年同週と比較して3倍以上になったという事です。
しかし地デジへの移行後、テレビの販売は落ち込んでいます。かつてのテレビは、一家に一台どころか一人一台という家庭も珍しくありませんでした。しかし内閣府の「消費動向調査」によると、世帯主が29歳以下の家庭では、テレビ普及率は85%にまで減少しているとの事です。
近年はインターネットやスマホなど娯楽は多様化しており、またYouTubeやアマゾンプライムなど動画配信サービスの広まりもあって、テレビの人気は下落の一途です。何より「最近のテレビは面白くない」とか「捏造や偏向報道にうんざりだ」という口コミが激増しており、テレビ製造メーカーや放送局は窮地に立たされています。
テレビの値段の推移【日本の物価】まとめ
・初期の白黒テレビは現在の50万円相当の値段だった
・1964年の東京オリンピックでテレビの普及が進んだ
・近年はテレビ離れにより、メーカーは苦戦している
地デジ特需が無くなってからのテレビメーカーは、新たな製品として3Dテレビを大々的にアピールしていましたが、メガネを掛ける煩わしさやコンテンツ不足が問題となり、さっぱり普及する事無く消えていきました。そして最近では、ハイビジョンの倍の高解像度である4Kテレビや、それを上回る8Kの販売に乗り出しましたが、やはり対応したコンテンツが少なく、普及は全く進んでいません。4Kや8Kも3Dテレビと同じく失敗する可能性大でしょう。「テレビが娯楽の王様」という時代は、完全に過ぎ去ろうとしています。