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日本のアニメ・特撮番組の歴史年表

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アニメは日本が世界をリードするエンタメ文化です。また、ウルトラマンやスーパー戦隊シリーズなどの特撮作品も、実は海外で人気を得ています。以下は、日本におけるアニメ・特撮番組の歴史をまとめた年表です。

アニメの歴史年表
作品 メディア
1954年 初代ゴジラ 公開 特撮映画
1963 鉄腕アトム テレビアニメ 
鉄人28号 テレビアニメ
1965 ジャングル大帝 テレビアニメ
大怪獣ガメラ 公開 特撮映画
1966 魔法使いサリー テレビアニメ
ウルトラマン テレビ特撮
1968 巨人の星 テレビアニメ
1969 サザエさん テレビアニメ
1970 あしたのジョー テレビアニメ
1971 仮面ライダー テレビ特撮
1975 フランダースの犬 テレビアニメ
秘密戦隊ゴレンジャー テレビ特撮
1977 ルパン三世 (第2シリーズ) 放送 テレビアニメ
1979 ドラえもん テレビアニメ
機動戦士ガンダム テレビアニメ
ルパン三世 カリオストロの城 アニメ映画
1981 Dr.スランプ アラレちゃん テレビアニメ
1983 ダロス OVAアニメ
1986 ドラゴンボール テレビアニメ
1988 それいけ!アンパンマン テレビアニメ
1990 ちびまる子ちゃん テレビアニメ
1992 美少女戦士セーラームーン テレビアニメ
クレヨンしんちゃん テレビアニメ
1995 新世紀エヴァンゲリオン テレビアニメ
1997 ポケットモンスター テレビアニメ
1999 ワンピース テレビアニメ
2000 仮面ライダークウガ テレビ特撮
2001 千と千尋の神隠し 公開 アニメ映画
2013 日本のアニメからセル制作が消える -
2014 妖怪ウォッチ テレビアニメ
2016 君の名は。 アニメ映画

1963年、手塚治虫のマンガ「鉄腕アトム」のアニメ放送がスタートしました。本作は、日本初の国産テレビアニメです。アニメの制作は、原作者の手塚治虫および虫プロダクション(手塚が設立したアニメ制作会社)の主導で行われました。

ビデオリサーチの調査では、鉄腕アトムは最高視聴率40.3%という大ヒットを記録しており、日本にアニメ文化を広める礎を作りました。しかし、鉄腕アトムの制作費は安く(諸説あるが1話当たり55万円〜155万円程度)、この低賃金が基準となった事が日本のアニメーターの劣悪な労働環境を生み出した原因だ!と評する専門家も少なくありません。

1966年、円谷プロダクション制作の特撮番組「ウルトラマン」の放送が開始しました。ウルトラマン以前にも「ゴジラ」や「ガメラ」といった巨大怪獣が登場する特撮作品は存在していましたが、テレビ作品としては、ウルトラマンがその先駆け的な存在です。

ウルトラマンは平均視聴率36.8%、最高視聴率42.8%という大ヒットを記録しましたが、制作の円谷プロダクションの予算やスケジュールが逼迫したため、39話で自ら打ち切りを決めたのです。その後は制作体制の見直しが行われ「ウルトラセブン」や「ウルトラマンタロウ」など数々の続編が作られています。

1970年頃からアニメの視聴者層が多様化する

1969年、アニメ「サザエさん」の放送が開始しました。長谷川町子の原作版は社会風刺色の強い内容でしたが、アニメ版は磯野家のほのぼのとした日常を描いた毒の無い作風に変更され、人気となりました。日曜のお茶の間の定番となったサザエさんは、2017年現在も放送が続いている、日本で最も長寿な(48年間)アニメ番組となっています。

1960年代後半から70年代は、アニメのターゲット層が広がり始めた時代です。1966年には、日本初の女の子向けアニメ「魔法使いサリー」が放送開始しました。そして1970年には「あしたのジョー」、1971年には「ルパン三世」(第1シリーズ)など、大人向けのアニメも増えました。こうしたアニメ視聴者の多様化が、市場の拡大に繋がったのです。

1979年、テレビ朝日で「ドラえもん」の放送が始まりました。放送は2017年現在でも続いており、ドラえもんはサザエさんに次ぐ日本で2番目の長寿アニメとなっています。ちなみに、1973年に日本テレビで放送されたのがドラえもんの元祖ですが、視聴率が振るわず半年で終了しています。

同じく1979年、ロボットアニメの金字塔「機動戦士ガンダム」の放送がスタートしました。当時のロボットアニメは、主人公が戦う相手は「世界征服を企む悪の組織」や「宇宙からの侵略者」などが大半でした。しかしガンダムは、一概に善悪を言えない人間同士による戦争を描いた作品で、それまでのロボットアニメとは一線を画したリアルな作風が特徴です。

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ガンダムの初回の放送時は、あまり人気がないため43話で打ち切りとなりましたが、その後の再放送や玩具のガンプラのヒットで人気が高まり「Zガンダム」「Gガンダム」「ガンダムSEED」など数々の続編が作られる事になりました。打ち切りとなった作品が後に人気となった事例としては「ルパン三世」や「宇宙戦艦ヤマト」などいくつかありますが、その中でもガンダムは最大級の復活劇と言えるでしょう。

アニメを芸術に昇華させた?宮崎駿と庵野秀明

1979年には「ルパン三世 カリオストロの城」が劇場公開されています。カリオストロの城は、宮崎駿が映画監督としてデビューした初めての作品です。本作の興行収入は6億1000万円と振るわなかったものの、度々テレビ放映された事で徐々に人気が高まりました。

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このカリオストロの城や「風の谷のナウシカ」で知名度を高めた宮崎駿は、1985年にスタジオジブリを設立「となりのトトロ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」など多数のヒット作を生み出し、日本のアニメ業界を大きく盛り上げました。宮崎駿といえば、手塚治虫と並ぶ日本アニメ界の2代巨頭などと表されますが、ジブリ映画はその芸術性が世界的に高評価を得ています。よって宮崎駿は、ウォルトディズニーと並ぶ「世界の」アニメ業界の巨匠と言えるでしょう。

1995年には「新世紀エヴァンゲリオン」が放送開始しました。原作者で監督の庵野秀明は、宮崎駿に仕えた事もある敏腕アニメーターでした。初回放送時はそれ程人気が高くなかったですが、最終回の展開が理解不能で完結しなかった事が大きな話題となりました。1997年には、テレビ本編の最終回を補完する形で、劇場版「Air/まごころを、君に」が公開されましたが、こちらも内容が難解であり、むしろ更によくわからない最後になっていた事が物議を醸しました。

エヴァンゲリオンの人気は、謎めいた話題性によるところも大きいです。その後は長らく音沙汰がなかったものの、2007年からは新劇場版の公開が始まっており(4部作の3作までが公開済み)、再びエヴァンゲリオンの人気は高まっています。但し、庵野秀明は「シン・ゴジラ」の大ヒットで(本人はアニメよりも好きだという)特撮の世界へ心が傾いているようで、エヴァンゲリオンが本当に完結するのか?不安だというファンの口コミも多いです。

OVAやゲーム化など、アニメ界のビジネスモデル

1983年にスタジオぴえろ&バンダイから、世界初のOVAアニメ「ダロス」が発売されました。OVAとはオリジナル・ビデオ・アニメーションの略です。それまでのアニメ業界は、テレビの放送権料もしくは劇場公開の興行収入で利益を得る仕組みでした。そんな中、ダロスはテレビや映画では公開せず、ビデオソフトの販売のみで利益を得るという新たな試みでした。

ダロス以降、アニメ業界ではOVAが新たなビジネスモデルとして確立します。OVAの成功例としては「銀河英雄伝説」が有名で、エピソードは全100話を越える程の長編大作となっています。

一方で、任天堂が1996年にゲームボーイで発売したソフト「ポケットモンスター」は、そのヒットを受けて翌1997年にはアニメ版の放送がスタートし、ゲーム発のアニメという新しいビジネスモデルを生み出しました。2016年にスマホゲーム「ポケモンGO」が社会現象を巻き起こしたのは、90年代のポケモンブームで若者達の知名度を得ていた事がベースにあったからです。

しかしポケモン人気に水を差したのが、その年末に起きた「ポケモンショック」で、放送は4カ月間休止される事になりました。アニメのポケモンに対する批判的な意見が殺到し、番組は一時休止する事態となりました。

※ポケモンショックとは、アニメポケモンの第38話の放送にて、画面の激しい点滅描写が多用された事で、視聴していた児童の一部が体調不良を訴えて病院に搬送された事件です。放送局のテレビ東京が把握している患者は、およそ750人に上ります。画面の激しい点滅は、ポケモン以外の作品でも多様されていた演出ですが、子供達のポケモンへの熱中ぶりが他の作品よりも強かった事が、被害が大きくなった理由だとする声もあります。

ですが、放送再開を望む声が多数寄せられた事や、NHKと民放連が光の点滅などに関するガイドラインを規定した事で4ヵ月後には番組が再開、以後は大きなトラブルはなく、2017年現在でも放送は続けられています。現在のアニメ作品は番組冒頭で「テレビを見るときは部屋を明るくして離れて見てください」という旨のテロップが流れますが、これはポケモンショックを受けての対応です。

アニメが深夜枠に移動した理由

また1990年代後半から、アニメ業界に変化が訪れ始めました。従来のアニメは、平日の夕方や、土日の朝に放送されるのが一般的でしたが、1990年代後半からは、アニメオタク向けの深夜アニメが多く放送されるようになりました。1990年代のアニメ業界では、製作委員会方式(複数の企業から出資を募る事で、資金リスクを分散する方法)が一般化した事で、より多くのアニメが制作出来る環境が構築された事が、深夜アニメが増加した理由の一つです。

深夜アニメは、DVDなど映像の二時販売で利益を得るビジネスモデルで、放送権やスポンサー料で制作費を捻出していたそれまでのアニメ業界から、大きく変わる事になったのです。

一方で、深夜アニメが増加したもう一つの理由が、週刊少年ジャンプの衰退です。1980年代〜90年代にかけてのアニメ業界は、ジャンプが原作の作品が多くを占めていました。「北斗の拳」「キン肉マン」「キャプテン翼」「聖闘士星矢」「ドラゴンボール」「幽遊白書」「スラムダンク」など、ジャンプの人気マンガがアニメ化して人気を呼んだ背景がありました。

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しかし、1995年にドラゴンボールの連載が終了した頃から、少年ジャンプの人気は急激に下落していきました。そんなジャンプ人気の低迷に歩調を合わせるように、アニメもヒット作が生まれなくなりました。悪く言えば、アニメ業界がマンガ原作に頼りすぎていたのです。視聴率が取れない事からゴールデンタイムのアニメは減少し、放送枠は深夜へと追いやられたという側面もあるのです。

日本のアニメ・特撮番組の歴史まとめ
・日本のテレビアニメは、手塚治虫の鉄腕アトムが元祖
・宮崎駿=スタジオジブリは、日本のアニメを世界に広めた
・ジャンプの衰退と共に、アニメは深夜枠へと追いやられた

最後になりますが、日本では1990年代後半から、アニメ制作はセル画からデジタル化(パソコンによる描画)への移行が進みました。そして2013年、サザエさんのデジタル制作への完全移行に伴って、日本のアニメ業界からセル制作番組が消滅しました。

デジタル制作はセルに比べて制作期間が短縮出来るうえ、修正なども容易に行える事から、制作コストを大幅に抑える事が出来ます。デジタル化は作品内容には特に影響を与えていないですが、日本のアニメ業界にとって大きな転換点になったと言えます。

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