日本と世界の統計データ

テレビゲーム文化の歴史年表

HOME > エンタメ > テレビゲーム文化の歴史年表

テレビゲームは1970年頃に誕生した文化であり、歴史としてはまだ50年程度と短いです。しかし、この50年でゲーム業界は目覚しい発展を遂げてきました。初期のゲームは、白黒の線や丸で描かれた、テニスやブロック崩しなどのシンプルなゲームしか存在しませんでしたが、近年では実写並みの映像表現も可能になっています。一体テレビゲームの文化はどのように発展してきたのか?その歴史をまとめました。

テレビゲーム文化の歴史年表
事象 メーカー ハード
1972 オデッセイ 発売 マグナボックス オデッセイ
PONG 稼動 アタリ ゲームセンター
1977 Atari 2600 発売 アタリ Atari 2600
1978 スペースインベーダー大人気 タイトー ゲームセンター
1980 パックマン 稼動 ナムコ ゲームセンター
ゲーム&ウオッチ 発売 任天堂 ゲーム&ウオッチ
1983 ファミリーコンピュータ 発売 任天堂 ファミコン
1985 スーパーマリオブラザーズ 発売 任天堂 ファミコン
海外でもファミコン発売 任天堂 ファミコン
高橋名人 ブーム ハドソン -
1986 ファミコン通信 創刊 アスキー 雑誌
1988 ドラゴンクエスト3 発売 エニックス ファミコン
テトリス 発売 BPS ファミコン
1989 ゲームボーイ 発売 任天堂 ゲームボーイ
1990 ネオジオ 発売 SNK ネオジオ
DOOM 発売 id Software パソコン
1993 バーチャファイター 稼動 セガ ゲームセンター
1994 プレイステーション 発売 ソニー プレイステーション
1996 ポケットモンスター 赤・緑 発売 任天堂 ゲームボーイ
1997 ファイナルファンタジー7 発売 スクウェア プレイステーション
1998 CESA 発足 - -
ドリームキャスト 発売 セガ ドリームキャスト
2000 プレイステーション2 発売 ソニー プレステ2
2002 Xbox 発売 マイクロソフト Xbox
スクウェア・エニックス 合併 スクウェア・エニックス -
2004 セガサミーホールディングス 合併 セガサミー -
ニンテンドーDS 発売 任天堂 DS
2005 脳トレ 発売 任天堂 DS
バンダイナムコHD合併 バンダイナムコ -
2006 Wii 発売 任天堂 Wii
iPhone 発売 Apple スマホ
2007 モンスターハンターP2 発売 カプコン PSP
アクティビジョン・ブリザード合併 アクティビジョンブリザード -
2010 梅原大吾 日本初のプロゲーマーに Mad Catz -
Kinect 発売 マイクロソフト Xbox
2012 パズル&ドラゴンズ 配信 ガンホー スマホ
2013 妖怪ウォッチ 発売 レベルファイブ 3DS
モンスターストライク ミクシィ スマホ
2016 ポケモンGO 配信 ナイアンティック スマホ
2017 ニンテンドーSwitch 発売 任天堂 Switch

黎明期〜数多くのゲーム機が乱立

1972年、世界初の家庭用ゲーム機「オデッセイ」が発売されました。そのオデッセイのテーブルテニスを基にした「PONG」は、商業的に成功した最初のゲームです。この年から、テレビゲームの歴史は始まったと言えます。

1978年には、タイトーが「スペースインベーダー」を開発。ゲームセンターで大量の100円硬貨が使用され不足したため、日銀が急遽100円硬貨を増産したという逸話もあります。

1980年に登場したナムコの「パックマン」。ボタンは一切なく、使うのはレバー1本のみというシンプルな操作体系が特徴です。そのコミカルなデザインが女性に受けた事で、それまで男ばかりだったゲームセンターに女性客を呼び込むきっかけとなりました。

同じく1980年に任天堂が発売した「ゲーム&ウオッチ」。ドンキーコングやミッキーマウスなど、様々な作品が発売されました。いわゆる携帯ゲーム機の元祖とも言える存在ですが、ハードとソフトが一体になっているので、ソフトを入れ替えて遊ぶという事は出来ません。現在のゲームコントローラは、左側に十字キー、右側にボタンが搭載されたものが主流ですが、その基本形態はこのゲーム&ウオッチの時点で完成されていました。

流行期〜ファミコンが市場を確立

1983年に発売された任天堂の「ファミリーコンピュータ」が、世界の家庭用ゲーム市場を開拓〜発展させた存在です。中でも、1985年に発売された「スーパーマリオブラザーズ」が爆発的なヒットを記録。日本だけで累計681万本、世界全体では4024万本を販売しており、世界一売れたゲームソフトとして当時ギネスブックに登録されました(現在では記録は抜かれています)。

1985年、アメリカでもファミコンが発売されました。しかし、海外での名称はファミコンではなく「NES」(Nintendo Entertainment System)となりました。ファミコンという名称が使われなかった理由は、当時のアメリカのゲーム事情が関係しています。

アメリカ版のファミコン
NES(アメリカ版ファミコン)

NES発売以前の1977年、アメリカで発売されたゲーム機「Atari 2600」は、当時のアメリカ世帯の3分の1相当まで普及したと言われています。しかし、サードパーティーがクオリティの低いソフトを粗製乱造した事でユーザー数が激減、アタリショックと呼ばれる市場崩壊を引き起こしました。任天堂は、このアタリショックのイメージを感じさせないように、ハードに「コンピュータ」という名称を付ける事を避けました。その結果生まれた名前が、Nintendo Entertainment Systemです。ちなみに、海外ではゲーム機をニンテンドーという愛称で呼ぶ事がありますが、それはこのNESに起因しています。


Atari 2600

1985年、ファミコンは子供達の間で一大ブームを巻き起こしていましたが、その勢いを更に加速させたのが、ハドソンの広報「高橋名人」(本名:高橋 利幸)です。高橋名人は、当時ハドソンが行っていたゲーム大会、全国キャラバンにゲームの実演役として出席し、その華麗なテクニックで子供達を魅了し、口コミで人気が広まりました。特に「16連射」(1秒間にボタンを16回連打する)は、名人に相応しい技でした。

しかし実は、高橋名人は自身をゲームが下手だと称しています。子供達の前で腕前を披露する際も、メーカーの人間ゆえに発売前からゲームがプレイ出来た事、また腕前を見せるのは最初の2分間のみで良かったため、発売前からゲーム冒頭だけを猛練習して、何とか乗り切っていたという事です。とはいえ、高橋名人は当時の子供達にとって憧れの的であり、ファミコンの普及に大きく貢献したのは間違いありません。

人気ソフトの数々

1988年に発売された「ドラゴンクエスト3」は、社会現象的なヒットを記録しました。発売日の朝には、家電量販店や玩具店に長蛇の列が出来ました。中でも、ビックカメラの池袋東口店では、行列が1万人を超えたという報道もされています。しかし、発売が平日の水曜日だったため、学校を休んで買いに行く子供が続出、何人も警察に補導されるという問題を引き起こしました。

この問題を期に、ゲーム業界では大作ソフトは土日に発売されるのが主流となり、またゲームの予約制度も導入されるようになりました。ドラクエ3はファミコン市場を盛り上げただけでなく、ゲーム業界全体にも大きな影響を与えたのです。

一方、パズルゲームとして最も有名な「テトリス」は、ファミコンでは1988年に発売されました。その後もゲームボーイやプレイステーション、携帯電話など数多くのハードに提供されており、これまでの累計販売(ダウンロード含む)数は5億を超えているとの事です。これは、歴代のゲームソフトの販売数としてナンバーワンの記録です。

なお、テトリスの生みの親は、ソ連のアレクセイ・パジトノフ氏です。ソ連は社会主義国家なので、当初パジトノフ氏にテトリスの権利は与えられませんでした。世界中でこれだけのヒットを記録したにも関わらず、作者であるパジトノフ氏に全くお金が入ってこなかったというのはとんでもない話です。しかしその後、ソ連が解体された事をきっかけに、パジトノフ氏は様々な会社や機関に働きかけ、共同で「ザ・テトリス・カンパニー」という会社をアメリカに設立、現在ではテトリスの版権を管理する立場となっています。

テレビゲーム機の進化

ファミコンの大ヒットでゲーム業界をリードしていた任天堂は、1988年に携帯ゲーム機「ゲームボーイ」を発売しました。これ以降の家庭用ゲーム業界では、ファミコンのようにテレビに繋いで遊ぶ「据え置きハード」と、自由に持ち運びが出来る「携帯ハード」の2つの市場が形成されるようになりました。

ゲームボーイはモノクロ画面でしたが、これは当時の技術でカラーにするとバッテリー消費が激しく、極めて短時間しか遊べなかったための措置です。実際、1990年にセガから発売されたカラーの携帯ゲーム機「ゲームギア」は、単三アルカリ乾電池6本でわずか3時間しか持たないという欠点がありました。これは、単三アルカリ乾電池4本で約35時間も遊べるゲームボーイとは雲泥の差です。ゲームボーイはモノクロという欠点がありながらも大きく普及し、逆にカラーのゲームギアはほとんど普及せずに消えて行きました。


ゲームギア

1990年には、SNKから「ネオジオ」が発売されました。ネオジオは元々、ゲームセンターや駄菓子屋などに設置される筐体でしたが、その後家庭用ゲームハードとしても発売されたのです。当時のゲーム機はまだまだ性能が不十分であり、ゲームセンターのゲームをそのまま移植する事は困難でした。

そんな中発売された家庭用のネオジオは、本体の内部はゲームセンター向け筐体とほぼ同じだったため、ゲームを完璧に移植出来るだけの性能を持っていました。ですがネオジオは、性能を追求するあまりにソフトの価格が極めて高額になっており、安いソフトでも2万円程度、最も高いソフトは39800円にもなりました。そのため、一部のゲームマニアには好評だったものの、一般のゲームユーザーに広く普及する事はありませんでした。


ネオジオ

1993年に発売されたパソコンソフト「DOOM」は、FPSの元祖とも言うべき作品です。FPSとは「First Person Shooter」の略で、一人称視点で行われるガンシューティングゲームです。日本ではFPSはマイナーなジャンルですが、海外、特にアメリカでは絶大な人気があります。

★関連ページ;アメリカのゲーム業界の市場規模と内訳

1990年代前半の家庭用ハードはまだ性能が低かったため、FPSはほぼパソコン専用のゲームでした。しかし2000年以降、Xboxのような性能の高いハードが登場した事を皮切りに、家庭用ゲーム市場でもFPSが数多く発売されるようになり、FPSというジャンルは大きく普及したのです。

停滞〜幻滅期、性能の進化が開発コスト高騰を招く

1994年には、ソニーからプレイステーションが発売されました。プレステの特徴は、3D映像でゲーム表現の幅を広げた事、そしてソフトメディアをCD-ROMにして容量を増やした事です。3D表現もディスクメディアも、プレステ以前のハードで既に採用されていた事ですが、世の中に広く普及させたという意味では、プレステがその先駆者と言えます。

特に、1997年に発売されたスクウェアのファイナルファンタジー7は、プレステの性能を最大限に活かしたハイクオリティな作品に仕上がっていました。ファイナルファンタジー7の大ヒットにより、多くのサードパーティーがプレステにソフトを提供するようになりました。その結果、これまで家庭用ゲーム市場を席巻していた任天堂は没落し、ソニーがゲーム市場の王座に君臨する事になったのです。

1996年、任天堂はゲームボーイで「ポケットモンスター 赤・緑」を発売しました。ポケットモンスターは、ポケモンと呼ばれる生物を収集&育成する事を目的としたゲームです。発売初週の出荷本数は20万本程度でしたが、その後ジワジワと売上を伸ばし、数年にわたって売れ続けた事で、累計販売本数は800万本を超える大ヒット作となり、後のポケモンGOが世界的人気となる礎となりました。

ポケモンは赤バージョンと緑バージョンの2本が同時発売され、それぞれ出現するポケモンが一部異なっています。ポケモン図鑑をコンプリートするためには、通信ケーブルを用いて、別バージョンを所有する友達などと交換する必要があります。こうしたユーザー同士でのコミュニケーションが広まった事が、ポケモンが成功した大きな理由です。

1998年にはセガから「ドリームキャスト」が発売されました。ドリームキャストは、インターネット接続機能を搭載している点が特徴です。2017年現在、3DSやプレステ4などの現行のゲーム機には、全てネット接続機能が搭載されていますが、その先駆けがこのドリームキャストです。実際には、1996年にAppleとバンダイが共同で開発した「ピピンアットマーク」が最初のネットワーク搭載ゲーム機ですが、ピピンアットマークは全世界累計で42000台しか売れなかった大失敗ハードなので、事実上はドリームキャストが最初のネット搭載ゲーム機と言えます。


ピピンアットマーク

ネット機能は、2000年以降に発売されたプレステ2やゲームキューブにすら搭載されていないので、ドリームキャストが如何に時代を先取りしたハードかという事がわかります。ですが、当時のネットはまだダイヤルアップの時代だったため「ネット接続時間に応じて料金が掛かる」「通信がメチャクチャ遅い」などの問題がありました。そのため、ドリームキャストは大きく普及する事なく、これを最後にセガはハード事業から撤退する事になりました。ネット機能をいち早く取り入れるその目の付け所は良かったのですが、世の中のネットインフラが整う前に発売してしまう戦略の甘さは、実にセガらしいです。

ゲーム業界では、ハード性能の向上に伴って、ソフト開発費が高騰するようになりました。特に、ソニーが2000年にプレステ2を発売した頃から、その流れは顕著になりました。ハード性能が上がった事で、これまで出来なかった映像表現が可能になったのは大きなプラス要素ですが、そのために開発費が何倍にも膨らむというマイナス面もあったのです。

事実、2000年代は、ゲーム会社の再編が相次ぎました。2002年にはスクウェアとエニックスが合併し、スクウェア・エニックスとなりました。ドラゴンクエストのエニックス、ファイナルファンタジーのスクウェアという、日本を代表する2大RPGメーカーの合併は大きな話題となりました。その後も、2004年にセガとサミーが、2005年にはバンダイとナムコが合併しています。

2007年にはアメリカの大手ゲーム会社アクティビジョンと、フランスのヴィヴェンディ・ゲームズが合併し、世界最大規模のゲーム会社、アクティビジョン・ブリザードが誕生しました。このように、2000年以降は大手ゲーム会社であっても単独で生き残る事が難しくなってきたのです。

転換期〜女性や高齢者への普及

2004年に、任天堂は携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」を、そして2006には据え置きゲーム機「Wii」を発売しました。この2つは、ゲーム人口の拡大に主眼を置いたハードです。

当時のゲーム業界では、ハード性能の進化に伴って操作が複雑化し、新規ユーザーが遊びにくい状況になっていました。そこで任天堂は、DSにタッチパネルを搭載し、画面を直接触ったり、タッチペンで文字を書くなど、複雑な操作をしなくても遊べるような操作体系を構築しました。またWiiは、コントローラを棒状のリモコンにし、振るや傾けるなどの直感的な操作が出来るようにしました。


Wii

こうしたシンプルでわかりやすい操作の代表作が、DSにおける「脳トレ」や、Wiiの「Wiiスポーツ」です。DSおよびWiiは、これまであまりゲームに触れてこなかった女性や高齢者を多く取り込み、ゲーム人口の拡大を実現したのです。DSとWiiのヒットによって、任天堂は再び家庭用ゲーム市場のトップに返り咲いたのです。

プロゲーマーとeスポーツ

2010年、格闘ゲーム「ストリートファイター」シリーズで活躍していた梅原大吾氏が、アメリカのゲームコントローラー製造会社である「Mad Catz」とスポンサー契約を結び、日本人初のプロゲーマーとなりました。

梅原氏を一躍有名にしたのは、アメリカ最大の格闘ゲーム大会EVO2004で見せた、通称「排水の逆転劇」です。この関連動画の再生回数は、全世界で1億PV以上とも言われており「最も視聴されたビデオゲームの試合」としてギネス登録されています。

現在、海外のゲーム市場では「eスポーツ」(Electronic sports)と呼ばれる、ゲームをスポーツと捉えた競技が盛んになっています。プロゲーマー同士が腕を競い合うeスポーツの大会は、賞金総額10億円を超える大規模なものもあり、ゲーム市場を大きく賑わせています。

★関連ページ;eスポーツの市場規模と日本で流行しない理由

日本ではまだまだeスポーツは広まっていませんが、梅原氏をはじめとして、日本人プロゲーマーの数は次第に増えてきており、今後は日本でも盛り上がって行く可能性はあると思われます。

崩壊期〜テレビゲーム市場の終焉?

2006年、Appleは「iPhone」を発売しました。iPhoneの登場で、世の中の携帯電話の多くがスマホに置き換わり、それに伴って家庭用ゲーム市場の縮小も加速度的に進みました。家庭用ゲームは、数万円のハードと数千円のソフトを購入しなければ遊べません。それに対し、スマホゲームの多くは基本無料で遊べるので、ユーザーのとっつき易さは段違いです。

スマホ以前のガラケー時代から、携帯電話は家庭用ゲーム市場を侵食していましたが、スマホの登場でその影響力は更に大きくなりました。中でも、2012年に誕生した、ガンホーの「パズル&ドラゴンズ」や、ミクシィが2013年に配信スタートした「モンスターストライク」などが大ヒットを記録しました。その他にもスマホゲーム市場では数々の人気作が生まれており、家庭用ゲーム市場は厳しい状況に追い込まれています。

さらに2016年の「ポケモンGO」配信でスマホゲーム文化は世代を超えて普及します。ポケモンGOは、スマホの位置情報機能を利用し、町中の至る所に存在するポケモンを、実際に歩き回って捕獲するというゲームです。配信開始直後から、ポケモンを探し回るユーザーが世界中に現れ、社会現象的なヒットを記録しました。その結果、ポケモンGOは「配信1カ月で最もダウンロードされたモバイルゲーム」「売上高1億ドルに最も早く到達したモバイルゲーム」など、5つのギネス記録を獲得しています。

一方で2017年、任天堂は据え置きハード「Switch」を発売しました。Switchは基本的には据え置きゲーム機ですが、携帯ゲーム機のように持ち運んで遊ぶ事も出来る点が特長です。Switchという名称も、据え置き機と携帯機を切り替える(スイッチする)という意味で付けられています。発売前の注目度はそれ程高くなかったものの「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」や「スプラトゥーン2」などソフトの魅力がネットの口コミで広まり、評価は一変。発売から半年以上経った2017年秋口でも、Switch本体の品薄状態は続いています。ネットオークションでSwitchを約5万円で再販する輩・通称「転売ヤー」が社会問題にもなりました。

スマホの普及により、家庭用テレビゲームは消滅の危機だとの口コミが支配的でしたが、Switch人気が家庭用ゲーム文化を復活させるのか?業界の期待は大きいです。

※当ページへのリンクはご自由にどうぞ。但し画像・文章の転記や複製は禁止です。引用される際は当ページへリンクして下さい。
Copyright (C) 2017 https://toukeidata.com/ All Rights Reserved.