HOME > スポーツ > NPBの歴代三振王の打者一覧
日本のプロ野球で、各シーズンの三振王〜最も多く三振をした選手の一覧表です。ホームラン王や打点王などと違い、三振王は不名誉な記録であるため、表彰などもなく正式記録としての情報が無いようなので、まとめてみました。
三振王になった回数の最多は、1970年代のクラレンス・ジョーンズ選手と、1990年前後のラルフ・ブライアント選手の5回です。日本人では、西武ライオンズの中村剛也選手の4回が最多記録です。この3人は皆ホームランバッターであり、ジョーンズは2回・ブライアントは3回・中村剛也は6回も本塁打王になっていますが、一方で三振が多いだけでなく低打率で、規定打席到達でシーズン3割を打ったことが一度も無い事も共通しています。
NPBの歴代シーズン三振王の選手 | ||||
年 | セリーグ | 三振数 | パリーグ | 三振数 |
1950年 | 三村勲(松竹) | 79 | 山下健(阪急) | 87 |
1951年 | 三村勲(松竹) | 73 | 皆川定之(東急) | 63 |
1952年 | 三村勲(松竹) | 69 | 蔭山和夫(南海) | 73 |
1953年 | 佐藤孝夫(国鉄) | 71 | 豊田泰光(西鉄) | 92 |
1954年 | 杉山悟(中日) | 78 | S・レッカ(高橋) | 117 |
1955年 | 町田行彦(国鉄) | 98 | 関口清治(西鉄) | 95 |
1956年 | 緋本祥好(広島) | 99 | 山下健(阪急) | 90 |
1957年 | 宮本敏雄(巨人) | 109 | 野村克也(南海) | 87 |
1958年 | 三宅秀史(大阪) | 107 | 中田昌宏(阪急) | 108 |
1959年 | 大和田明(広島) | 100 | 野村克也(南海) | 98 |
1960年 | 興津達雄(広島) | 108 | 吉田勝豊(東映) | 110 |
1961年 | 桑田武(大洋) | 108 | 中田昌宏(阪急) | 121 |
1962年 | M・ソロムコ(阪神) | 121 | 西園寺昭夫(東映) | 103 |
1963年 | J・マーシャル(中日) | 83 | 野村克也(南海) | 112 |
1964年 | 伊藤勲(大洋) | 100 | 城戸則文(西鉄)、K・ハドリ(南海) | 99 |
1965年 | 小淵泰輔(サンケイ) | 111 | T・ロイ(西鉄) | 98 |
1966年 | 広野功(中日) | 75 | T・ロイ(西鉄) | 91 |
1967年 | D・スチュアート(大洋) | 100 | 大杉勝男(東映) | 107 |
1968年 | 柴田勲(巨人) | 106 | 大杉勝男(東映) | 106 |
1969年 | カークランド(阪神)、衣笠祥雄(広島) | 133 | 有藤通世(ロッテ) | 111 |
1970年 | カークランド(阪神) | 81 | C・ジョーンズ(南海) | 102 |
1971年 | J・ミラー(中日) | 89 | C・ジョーンズ(南海) | 94 |
1972年 | 田淵幸一(阪神) | 91 | 有藤通世(ロッテ) | 85 |
1973年 | J・ウィリアム(中日) | 95 | C・ジョーンズ(南海) | 93 |
1974年 | 河埜和正(巨人) | 82 | C・ジョーンズ(近鉄) | 112 |
1975年 | G・マーチン(中日) | 91 | C・ジョーンズ(近鉄) | 98 |
1976年 | 長崎慶一(大洋) | 88 | B・ミッチェル(日本ハム) | 121 |
1977年 | 田代富雄(大洋) | 118 | B・ミッチェル(日本ハム) | 158 |
1978年 | A・ギャレット(広島) | 104 | B・ミッチェル(日本ハム) | 122 |
1979年 | L・スタントン(阪神) | 136 | B・ミッチェル(日本ハム) | 122 |
1980年 | 田代富雄(大洋) | 104 | T・ソレイタ(日本ハム) | 121 |
1981年 | G・トマソン(巨人) | 132 | W・ケージ(阪急) | 122 |
1982年 | 田代富雄(大洋) | 102 | W・ケージ(阪急) | 113 |
1983年 | 宇野勝(中日) | 97 | 門田博光(南海) | 86 |
1984年 | 宇野勝(中日) | 117 | 加藤英司(阪急) | 91 |
1985年 | 広沢克己(ヤクルト)、ゲーリー(中日) | 102 | 秋山幸二(西武) | 115 |
1986年 | 長内孝(広島) | 105 | 清原和博(西武) | 109 |
1987年 | R・ランス(広島) | 114 | 秋山幸二(西武) | 102 |
1988年 | 池山隆寛(ヤクルト) | 120 | 秋山幸二(西武) | 132 |
1989年 | 池山隆寛(ヤクルト) | 141 | R・ブライアント(近鉄) | 187 |
1990年 | 広沢克己(ヤクルト) | 128 | R・ブライアント(近鉄) | 198 |
1991年 | 広沢克己(ヤクルト) | 129 | O・デストラーデ(西武) | 119 |
1992年 | 池山隆寛(ヤクルト) | 148 | R・ブライアント(近鉄) | 176 |
1993年 | J・バーフィールド(巨人) | 127 | R・ブライアント(近鉄) | 204 |
1994年 | L・メディーナ(広島) | 106 | R・ブライアント(近鉄) | 153 |
1995年 | H・ミューレン(ヤクルト) | 134 | T・ニール(オリックス) | 130 |
1996年 | H・ミューレン(ヤクルト) | 140 | B・ブリトー(日本ハム) | 147 |
1997年 | 清原和博(巨人) | 152 | T・ニール(オリックス) | 137 |
1998年 | 江藤智(広島) | 103 | N・ウィルソン(日本ハム) | 141 |
1999年 | 福留孝介(中日) | 121 | 田中幸雄(日本ハム) | 132 |
2000年 | R・ペタジーニ(ヤクルト) | 116 | T・ローズ(近鉄) | 134 |
2001年 | 清原和博(巨人) | 140 | A・カブレラ(西武) | 150 |
2002年 | A・ラミレス(ヤクルト) | 146 | S・シェルドン(オリックス) | 155 |
2003年 | T・ウッズ(横浜) | 132 | T・ローズ(近鉄) | 137 |
2004年 | 岩村明憲(ヤクルト) | 173 | J・ズレータ(ダイエー) | 121 |
2005年 | 岩村明憲(ヤクルト) | 146 | F・セギノール(日本ハム) | 141 |
2006年 | 村田修一(横浜) | 153 | F・セギノール(日本ハム) | 119 |
2007年 | T・ウッズ(中日) | 153 | T・ローズ(オリックス) | 147 |
2008年 | T・ウッズ(中日) | 138 | 中村剛也(西武) | 162 |
2009年 | T・ブランコ(中日) | 157 | 中村剛也(西武) | 154 |
2010年 | T・ブランコ(中日) | 158 | 山崎武司(楽天) | 147 |
2011年 | W・バレンティン(ヤクルト) | 131 | 陽岱鋼(日本ハム)、中村剛也(西武) | 134 |
2012年 | 堂林翔太(広島) | 150 | W・ペーニャ(ソフトバンク) | 130 |
2013年 | M・クラーク(中日) | 130 | A・ジョーンズ(楽天) | 164 |
2014年 | B・エルドレッド(広島) | 169 | E・メヒア(西武) | 156 |
2015年 | 丸佳浩(広島) | 143 | 中村剛也(西武) | 172 |
2016年 | M・ゴメス(阪神) | 130 | E・メヒア(西武) | 148 |
2017年 | 梶谷隆幸(DeNA) | 157 | T-岡田(オリックス) | 141 |
2018年 | 丸佳浩(広島) | 130 | 山川穂高(西武) | 138 |
ホームランと三振の数は相関する傾向があり、歴代三振王の大半が長距離打者であり、河埜和正や梶谷隆幸のような中距離打者がシーズン最多三振となるケースはまれです。
もう一つ、三振王一覧表から読み取れる特徴は、近年になるにつれて最多三振数が増加傾向にあることです。1970年代まで〜つまり王・長嶋の時代には、シーズン最多三振でも100に満たない事も多かったのですが、80年代・90年代と進むにつれて、明らかに数字が多くなっていることが分かるでしょう。
日本のプロ野球で、近代の方が三振の数が増えている理由は、大きく2つあります。
ひとつは投手の分業制が確立したことです。日本で継投策が一般化し始めたのは、1980年代からです。かつては先発完投が当たり前だったので、終盤では投手がバテる、もしくはそれを避けるために適度に手を抜いて投げることが常識でした。また3打席・4打席と重ねていくうちにタイミングも合ってくるので、空振りも減ります。
しかし近年は、終盤には元気な状態のリリーフ投手が出るため、打者は1回から9回まで、常に全力投球の投手と対峙する羽目になるので、三振する事が増える訳です。
二つめは、変化球の増加です。70年代までは、持っている変化球は1つか2つという投手が大半だったため、打者は的を絞りやすかったのです。特にフォークなどの縦の変化球は、投げる投手が非常に少ない上、使う頻度も現代よりも少なかったです。
ところが1980年代後半からフォークボールが流行し始め、打者が空振りする確率が増え始めます。日米野球で来たマイク・スコット投手(高速フォーク・SFFで奪三振王になった)が引き金となり、その後に野茂英雄や佐々木主浩などがフォークを武器に大活躍したことで、プロの投手の大半がフォークを持ち球にするようになったのです。
※野茂の投球(MLB公式動画)
近年では、フォークや縦スラなど空振りを取りやすい落ちる球種は、プロの投手なら誰でも使いますし、変化球の球種を5つも6つも使う投手も珍しくありません。よって単純に、バットに当てる事が難しい時代になったと言えるのです。
そして今後は更に、三振が増える事が予想されます。米大リーグ(MLB)で起きている「フライボール革命」が日本にも間違いなく到来するからです。
MLBではデータ解析が進み、打者がアッパースイングでフライを上げに行くスイングをした方が、長打が増えて得点率が上がるという事実が判明しました。このトレンドが2016年あたりから大流行し、2017年にはMLB全体での本塁打数が史上最多を更新し、フライボール革命と呼ばれるようになりました。
その一方で、アッパースイングの弊害〜空振りの増加も起きて、三振数も史上最多を更新したのです。2018年には投手の側も、フライボール革命に対抗する技術が向上し、高めの速球とタイミングを外す遅いカーブを有効に使い始め、更に三振数は増えました。
MLB全体平均の打撃成績 | |||
年 | 総本塁打 | 平均打率 | 総三振数 |
2016年 | 5610 | .255 | 38982 |
2017 | 6105 | .254 | 40104 |
2018 | 5580 | .248 | 41177 |
現在のMLBでは、シーズン200三振を超えても三振王にならないケースも出ています。ブライアントも真っ青の「低打率・ホームランか三振か」という打者が激増しているのです。
日本人でも、 メジャー移籍した大谷翔平選手やソフトバンクの柳田悠岐選手が、アッパースイングで大成功している事から、真似する選手達が増える=三振数も増える事は間違いないでしょう。20年以上破られていないブライアントのシーズン最多三振=204個という大記録(?)も、いよいよ更新される日が近いかもしれませんね。