HOME > スポーツ > NPB歴代サヨナラ安打ランキング
日本のプロ野球(NPB)における、通算のサヨナラ安打ランキングのトップ10です(2018年終了時点)。サヨナラ安打とは、9回や延長戦など「裏の攻撃」で、勝負を決めるヒット(試合が3アウトの前で打ちきりになる)のことです。シングルヒットからホームランまで、全ての安打を含めてカウントします。当然ながら、いわゆる「勝利打点」も記録されます。
サヨナラ安打ランキング | |||
順位 | 名前 | 安打数 | 現役時代(出場試合数) |
1位 | 清原和博 | 20本 | 1986~2008年(2338試合) |
2位 | 野村克也 | 19本 | 1954〜1980年(3017) |
3位 | 王貞治 | 18本 | 1959〜1980年(2831) |
4位 | 長嶋茂雄 | 14本 | 1958〜1974年(2186) |
広瀬叔功 | 14本 | 1956〜1977年(2190) | |
6位 | 立浪和義 | 13本 | 1988〜2009年(2586) |
中村紀洋 | 13本 | 1992〜2014年(2267) | |
8位 | 原辰徳 | 12本 | 1981〜1995年(1697) |
金本知憲 | 12本 | 1992〜2012年(2578) | |
大島康徳 | 12本 | 1971〜1994年(2638) | |
- | 12本 | その他5人が同数 |
歴代サヨナラ安打ランキングのトップは、西武や巨人でプレーした清原和博の、通算20本です。2位〜4位は、野村克也・王貞治・長嶋茂雄と、打撃タイトル(首位打者・本塁打王・打点王)を10回以上取っている蒼々たるメンツが名を連ねており、生涯無冠だった清原が彼らより上に居ることは驚愕だといえます。
清原といえば「大舞台に強い」というイメージが語られがちですが、歴代最多のサヨナラヒットを打っている訳ですから、その勝負強さは事実だったといえます。薬物で逮捕された事で、もはやプロ野球界に戻れる事はないでしょうから、実に残念な話です。
サヨナラヒット数歴代2位の野村克也は、通算出場試合数が3000越えで歴代2位と多いことから、サヨナラ安打以外にも数多くの記録で上位に名を連ねています。ホームランは王貞治に次ぐ歴代2位(657本)、安打数も2位(2901本)、犠飛は史上最多(113回)、また併殺打378回はNPBでダントツ最多であり、大リーグ記録(アルバート・プホルスの374回)をも上回っています。不名誉なモノも含めて、多くの最多記録で上位にランクインしています。
実は清原も、出場試合数はかなり多いです。王貞治や長嶋茂雄も、単に打撃能力が優れていただけでなく、現役生活が長く出場試合が多いことも、通算記録の上位に居る理由です。
このようにランキング上位の選手達は、大半が現役生活が長いので「出場試合数の多さとサヨナラ安打数は比例する」という傾向があるといえます。実に当たり前な話ですが、そんな傾向と相反するのが、ランキング8位タイに居る原辰徳です。出場試合数はダントツで最小であり、しかも原と言えば「チャンスに弱い」「ダメ4番」という世間の印象・口コミが蔓延しています。
しかし現実には、歴代トップ10に入るほどサヨナラ安打を打っている「勝負強さ」を兼ね備えていたのです。原のサヨナラ安打率(安打数÷試合数)は、王や長嶋より高いのです。原が「勝負弱い」というのは完全にマスコミの印象操作、口コミが間違っているのです。
さらにいうと、清原和博は生涯打撃タイトル無冠で年間MVPもゼロでしたが、原は1983年に打点王とMVPのタイトルを獲得しています。そして原は、自らの引退試合でホームランを打つという「持っている男」ぶりを発揮しましたが、これは長嶋も清原もなし得なかった事です。
他の強打者との比較でも、例えば松井秀喜はワールドシリーズMVPの実績から「勝負強い」と語られがちですが、NPB時代の10年間にサヨナラ安打は8本(1268試合)でした。松井のサヨナラ安打率もやはり、原よりも低いのです。
当時の巨人ファンなら確実に感じていたでしょうが、松井秀喜はホームランバッターとしての才能は間違いなく超一流でしたが、緊張しやすくメンタルが弱い、ここ一番の大舞台にあまり向かない選手でした。メジャー移籍の直前、東京ドームでの日米野球で、バリーボンズとのホームラン競争で力んでまったく打てず、ボンズから「もっとリラックスしろよ」みたいに肩を揉まれていたシーンを記憶しているファンは多いでしょう。
※ボンズに肩を揉まれる松井(5:30あたり)
人々が感じている印象と、本当の実績はしばしば乖離しています。マスコミによる印象操作が入ると、なおさらその差は大きくなります。
原辰徳は長嶋・王の後に巨人の4番になったことで、常にONと比較され、少し打てないだけで「勝負弱い」「ダメ4番」とマスコミから叩かれまくっていました。原辰徳という男は、間違いなく日本プロ野球史上、最も「不当に叩かれすぎた男」だと断言できます。WBCの優勝監督になった事で、ようやく現役時代の不遇から少しは報われた・・・と言えます。